人生の折り返し地点を曲がってもなお、もがいている人が狭く小さい世界から語る物語

Show Respect


“Show respect.”

英語で学童教室を運営されている団体の見学させてもらった日、学童の先生が、生徒に話しているのを耳にして、いいなぁと思いました。
例えば、お友達が発表しているときに、おしゃべりをして聞いていない子どもへのかたりかけとして。

”Show respect.”
短い言葉だけれど、日本語にぴったりと言い換えられるフレーズが思い浮かびません。

「静かにしよう」
学校などでは、こういうことが多いのかな。

でも、「Show respect」と「静かにしよう」は、同じ行動を促したとしても、それぞれの言葉が持つ意図がちがっています。

中学生の時、渡辺先生という美術の先生に担任をもっていただきました。
大人となった今振り返ると、人として本当に誠実ですてきな方だということが身に染みるのですが、中学生の時はそれがわからず、生意気に文句ばっかり言っていた記憶があります。
けれども、先生は向かい合って話を聞いてくれていました。
面倒くさがったり、途中でさえぎったりせずに。

国連の子どもの権利条約を日本が批准した年だったのだと思います。道徳の時間を使って、「子どもの権利条約」について紹介したり、話し合いをもたせてくれた記憶もあります。

中学を卒業して、母校が廃校になるというタイミングで十数年ぶりに再会できたことがありました。
その時も、
「元気にやっていますか?」「おぉ、ご家族も。なにより。」
仕事は何をしているとか、どこにいるとか、そういうことは一切問わずに、ただただ心身が健康かどうか、それのみ。ありがたかったです。

”Show respect.”
この言葉を聞くと、渡辺先生の顔が思い浮かびます。
先生は日々の言動をとおして、「尊重」を静かに、確かに、年端もいかない子どもたちに対して示してくれていたのだなぁと感じるのです。

キヨコとダックス先生がけんかをした。
四時間目の児童会の時間からくもゆきがあやしかった。
学校の月目標をダックス先生はかってにかえてしまったからだ。
五月の生活目標は三つあった。

1 ろうかは走らないで右側を歩きましょう。

2 いのこりをしないようにしましょう。

3 道くさをしないようにしましょう。

ダックス先生は1の目標はぜんぶけずってしまった。
2は、「いのこりは自由」とかえた。3は、なんと「道くさをしましょう」にかえたのだった。

「どうしてですか。説明してください」
キヨコがたずねた。

「はいはい」
とダックス先生はいった。

「ろうかはいつも右側をしずかに歩く、というのはこまるのです。火事が起こったら焼け死んでしまいますからねぇ」

「まじめにしゃべってください」

「はいはい」

「あなたひとりが、二、三人で歩いているときは、ろうかの右側を歩こうが左側を歩こうが、そんなことはどっちでもいいのです。たくさんの人間が歩くときは右側通行をまもったほうがいい。つまり、ろうか一つ歩くにしても、そのときそのときのようすを判断して歩くのが人間なのです。もし、まだほかのクラスが勉強中なら、今はしずかに歩かないとひとのめいわくになる、そう考えてしずかに歩ける人がちゃんとした人間というものでしょう。そう考えると1の目標はいらないということになります。」

「いらない目標を学校がなぜ決めたのですか?」
キヨコはくってかかった。

「なかなかするどい質問ですね」
とダックス先生はあわてなかった。

「あのね。ここだけの話ですがね……」
ダックス先生は声をひそめた。

「決めたことをまもらせるのが教育だとおもっているアンポンタンの先生が、まだ、いっぱいいるのですよ」

「わぁ、いうたろ、そんなこというて」とコウヘイが大声をあげた。

「あらまあコウヘイくん、そりゃないでしょう」
とダックス先生はあわれな声を出した。みんながくすくすわらった。

灰谷健次郎『きみはダックス先生がきらいか』大日本図書、1981年

上記の部分以外にもキヨコとダックス先生とのやり取りは描かれているのですが、ふたりのやり取りが、ほろ苦くてすきです。

わたしは、キヨコほど正義感を適切な言葉にできなかったし、渡辺先生もダックス先生みたいにご自身の意見をこれほど既存のものと対峙させることはなかったのですが、
面倒くさがらずに対話する、という姿勢は共通しています。

ありがたい。

大人になった今、果たして渡辺先生やダックス先生のように子どもを尊重できているか?

時間に追われたり、自分の評価を気にしてしまうと、相手を尊重できなくなる自分が見え隠れします。

Show respect

そんなときは、心の中で自分自身に言い聞かせます。


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